Chapter 1
石黒 基二郎
Episode 1
妻から手渡された
新聞記事
自動車鋼材本部
自動車鋼材第一部 部長
1991年入社

部署は取材時のものです

石黒 基二郎
Motojiro Ishiguro
運命のトラブル
トラブルはいつも突然、戸を叩く--。
「おたくから仕入れた溶融メッキ鋼板、うちのスペックと違うんだけど」
その日朝イチでかかってきた電話は日系エアコンメーカーの品質保証の担当者からだった。エアコンの量産シーズンに入っていたからか、いささか声が尖っている。
「申し訳ありません。すぐに調べて対処します」
電話を切るや、現地スタッフに調査を指示。原因はほどなく判明した。耐蝕性の低いパソコン用の溶融メッキ鋼板(※1)を、高い耐蝕性が必要とされるエアコン用と混在して納品してしまったのだ。
「またトラブルか…」
思わずため息が出る。
2003年、石黒はタイにある、アジア最大級のコイルセンター(※2)にいた。入社10年目の2001年から同コイルセンターの家電部門の営業部長として海外駐在を経験していたが、着任から2年続けてトラブルに巻き込まれ、巨額損失を出し続けていた。駐在1年目は、取引先が生産計画を4割近く下方修正したため年度末に5000トンもの過剰在庫を記録。翌年には、「絶対に在庫を抱えない」と定常在庫を通常の6割に絞ったところ、今度は取引先が増産体制にシフト。1800トンもの在庫不足に陥り、タイ国内中のコイルセンターに頭を下げ調達に奔走。2年通算で億を超える損失を抱えたのだ。その後の交渉でいずれの損失も取引先預かりとなり、結果的に事なきを得たが、石黒はこのトラブルには少なからぬ責任を感じていた。それゆえ、駐在3年目の溶融亜鉛メッキ鋼板の納品ミスは自らの手で穏やかに解決したかった。では、どうすればいいのか…。
「よし、工場に出向いて検品しよう!」
3時間熟考した末、石黒は検品器具を携え、現地スタッフと工場へ急いだ。だが、この判断が石黒を窮地に追い込むことになる。
(※1)溶融亜鉛メッキ鋼板:鉄を高温で溶けた亜鉛の中につけて付着させる。メッキ厚は一般的に大きくなり、防錆力が大きい鋼板。
(※2)コイルセンター:鉄鋼メーカーで製造されたコイル(鋼板を薄く延ばしてトイレットペーパー状に巻いたもの)に切断加工等を行う鉄鋼流通加工業者。
真剣勝負を求めて
石黒が商社を志したのは、人と人が真剣勝負する世界に憧れたからだった。学生時代はテニス部に所属。勝つか負けるか1対1の勝負の日々を過ごし、就職面接では「自分は追い込まれても負けません。ファイナルセットのタイブレークで、たとえ足がつっても絶対に勝ちます」と、とんがった。
無事入社が決まり、特殊鋼・線材(※3)の国内営業に配属されて半年後、この血気盛んな新入社員は部長に向かってこんな言葉を吐いた。
「こんな生ぬるい仕事、やってられませんよ」
デリバリー業務中心で、売り買いの醍醐味に欠ける業務ばかり行っていた自分への苛立ちから出たひと言。しかし部長は、こう切り返した。
「じゃあ、石黒くん、この半年で君自身は一度でも勝負をしたの?」
「たしかにそうだ…、よし、勝負してやる!」
石黒はとんがり続けた。その日から日常業務に加え、新規、既存を問わず客先に営業をかける日々が始まった。するとお客様の1社が価格を下げたら取引量を倍にすると持ちかけてきた。二つ返事でOKしたが、肝心の鉄鋼メーカーが首をタテに振らない。困り果てていたところ、渋る鉄鋼メーカーの営業責任者を前に上司が啖呵を切ったのだ。
「コイツがやると言ったんだから、うちは全社挙げてやりますよ」
懐の深い上司、そして思ったとおり懐の深い会社だった。
入社9年目に貿易課へ異動し、11年目にタイのコイルセンターに出向。それまでの特殊鋼・線材というニッチな世界から商材も薄板全般へ変わった。
初めての海外駐在ということで気合も十分だったが、そのタイで2年続けて巨額損失。さらに駐在3年目の納品ミスでは、自ら溶融亜鉛メッキ鋼板の検品を行い、1週間かけて耐蝕性の低い鋼板を取り除くも、結果的にその間に2000万円もの損失を出す始末。しかも今度は取引先に責任はない。全額回収不能だ。
「なんですぐに相談しなかったんだ!」
上司からは強く叱責を受けた。
「…怖くて言えませんでした」
情けない理由しか口にできない自分が歯がゆかった。
(※3)特殊鋼・線材:特殊鋼は特殊な性質を持つ鋼材で、硬度、強度、粘り強さ、耐磨耗性、加工性等に優れた性質を持つ。線材は線状の鋼材で、ワイヤーロープや針金などの素材として使用される。
正直に生きれば明るくなる
「俺の人生、ここまでかもしれないな…」
自宅に戻ったとたん、思わず口からこぼれた。実際、ある程度覚悟はしていた。
それを察してか、妻が目の前にそっと新聞記事の切り抜きを差し出した。それは当時伊藤忠商事の社長を務めていた丹羽宇一郎氏のインタビュー記事だった。4000億円もの損失を出した経験がありながらトップにまで上り詰め、伊藤忠商事を再生させた人物。妻に促されるまま記事に目を落とすと、視線は丹羽の語るある言葉に釘付けになった。
“物事を隠すと暗くなる。正直に生きれば明るくなる”
振り返れば、溶融亜鉛メッキ鋼板の納品ミスが発覚したとき、自分は誰にも相談することなく、3時間ほど考えて自ら検品作業を行うことを決めた。
その時間とは何だったのか――。
それは…うまくごまかそうと思いを巡らしていた時間だったのではないか。しかもその3時間で損失がさらに膨らむことぐらい想像できたはずだ。
「やはり正直者であることが一番なのかな…」
その言葉に妻は笑顔で答えた。
トラブルはいつも突然、戸を叩く。なくなることはない。だが、トラブルに臨んで知っておくべきは自らの解決能力の限界値だ。これ以後、石黒はその算出時間を3分と決めた。3時間はあまりにも長かった。自分の能力を超えたと思ったら3分間考え上司に相談。200%の力を発揮して解決に向けてベストを尽くす。これが“正直で明るいやり方”だ。
不思議なことに、この日を境にタイ駐在後半の3年間、大きなトラブルはぱたりと止まった。そればかりか取引先の厳しい要求に対応し続けてきた姿勢が認められ、エアコンメーカーの社名の前に「ミスター」の称号をつけて呼ばれるほど絶大な信頼を勝ち取り、表彰を受けるまでになる。取引先の担当者は口々にこう言った。
「石黒さんに頼めば必ずなんとかしてくれる」
トラブルだけではない、どうやら転機というのも突然やってくるようだ。その瞬間を忘れないように、入社13年目、35歳で読んだあの新聞記事を石黒はいまも手元に置いている。